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岡山地方裁判所 平成4年(ワ)851号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1(当事者)、同2(本件医療事故発生に至るまでの経過)のうち、一郎が昭和六三年八月一九日、三宅医院の紹介により、被告病院小児科で気管支喘息の治療を受けるようになったこと、被告病院の担当医が、昭和六三年八月二〇日から同月二七日までの入院治療及び検査の結果、一郎に対して、小麦、大豆除去食の指導、経口抗アレルギー剤、気管支拡張剤、喀痰融解剤の継続投与により小児科外来で病状管理する方針を決めたこと、被告病院小児科における治療に際し、ネオフィリン散(後に錠剤)が一日四回分処方され、昭和六三年一二月一四日から、テオフィリンの徐放性製剤(気管支拡張剤)が処方されたが、テオフィリンの血中濃度は測定されていないこと、昭和六三年一一月一〇日からインタールの吸入療法が開始されたが、平成元年二月一五日以降は使用されていないこと、平成元年からメプチンキッドエアーが処方されたこと、治療期間中、一度も一郎の呼吸機能検査が実施されていないこと、同3(本件医療事故の発生)のうち、一郎が、被告病院小児科外来に自分で歩いてきたこと、原告花子が被告病院小児科外来の診察室に行くと、一郎が既に吸入処置を受けていたこと、原告花子が片岡医師に「大丈夫でしょうか。」と尋ねると、片岡医師が「大丈夫、大丈夫。」と答えたこと、片岡医師が江本看護婦に「様子は変わらないかね。」と尋ね、江本看護婦が「変わりません。」と答えたこと、江本看護婦が、酸素マスクを持ってきて、「お母さん、持ってあげて下さい。」と言ったこと、原告花子が酸素マスクを一郎の口から少し浮かして持っていたこと、原告花子が江本看護婦に「看護婦さん、酸素が出ていません。」と言ったこと、江本看護婦が、「そんなことはないと思いますけど。」と言って、元栓様のものにさわったところ、シューッという酸素の出る音がしたこと、一郎が倒れたこと、二、三人が一郎に走り寄って一郎の身体を支えたこと、被告病院の医師らによって救急処置が行われたこと、一郎が、午前一〇時一五分ころ、小児科外来からICU(救急センター)に搬送されたこと、一郎が、その後、ICUで再び心停止を起こし、重篤な意識障害に陥り、意識が戻らないまま平成三年八月二八日脳死と判定され、同年一〇月一〇日午前一一時一九分死亡するに至ったことは当事者間に争いがない。

二  診療の経過等

右争いのない事実に、《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件医療事故発生に至るまでの経過

(一)  一郎は、四歳(昭和五三年)ころ、気管支喘息を発症し、病院を転々として発作時に投薬を受け、昭和五九年七月二三日から三宅医院で通院治療を受け始め、昭和六二年八月、発作のため約一週間重井病院へ入院し、昭和六三年七月中旬ころから夜間小発作があり、医師の指示によらないでステロイド剤の吸入をするようになっていた。

(二)  三宅医院での診療の結果、一郎にはアレルゲン(アレルギーの原因因子)としてハウスダストとダニが認められ(三+)、昭和六三年七月末から症状が増悪したことから、三宅医院の医師三宅馨は、脱感作療法(気管支喘息などのアレルギー性気道疾患に対し、その病因抗原〔アレルゲン〕を増量しながら徐々に注射してゆき、抗原に対する過敏な反応を減弱させようとする治療法)と精査が必要であるとして、一郎を被告病院へ紹介した。一郎は、昭和六三年八月一九日、被告病院を受診し、被告病院の医師は、ステロイド剤からの離脱と発作軽減の目的で、同年八月二〇日から一郎を被告病院で入院治療することとし、その際、一郎は、気管支喘息、アトピー性皮膚炎と診断され、RAST検査(あるアレルゲンに対する特異的IgE抗体を検出する検査)により、ハウスダスト、ダニ、カモガヤに対するアレルギー(三+)、小麦、大豆に対するアレルギー(一+)の結果が得られ、小麦、大豆を除去食とし(同月三一日食事指導)、ネオフィリン(気管支拡張剤)の静脈注射により明らかな発作は見られなくなり、さらに、ネオフィリンを経口投与し発作がなかったため、同月二七日退院し、外来で経過観察することとなった。

被告病院の医師は、一郎に対し、退院と同時にセルテクト(抗アレルギー薬)の投与を開始した。

一郎は、退院後、発作のため被告病院の救急外来で診察を受けることもあった。昭和六三年一〇月二〇日、発作のため被告病院の救急外来を受診したが、吸入や点滴でも軽快しなかったため入院し、同月二二日、ネオフィリンの静注で発作がなくなったので退院して、外来で経過観察することとなった。

一郎は、昭和六三年一一月二〇日、発作のため被告病院の救急外来へ一晩に二回受診し、インタール(吸入用)(抗アレルギー剤)の処方を受け、同月三〇日にも、同様の処方を受けて、発作時のみではなく、定期的に吸入を続けるよう指示された。しかし、以後インタール(吸入用)が実際に被告病院で処方されたことはない。

被告病院小児科の医師は、昭和六三年一二月一四日の診療から、一郎に対し、テオフィリンの徐放性製剤であるテオドール(気管支拡張剤)を処方し、以後これを継続した。

一郎は、平成元年二月一五日に被告病院で診療を受けた際、医師に対し、処方された薬を飲んでいない旨述べ、翌一六日に診療を受けた際にも、医師に対し、処方された薬の二分の一しか飲めていなかったが、今日からはしっかり飲んでいる旨述べた。

一郎は、平成元年四月二二日、発作のため、被告病院の救急外来へ受診し、点滴や吸入を受けたが改善が見られなかったため入院したが、同月二五日、軽快して退院した。

(三)  被告病院では、平成元年六月六日、一郎に対し、メプチンキッドエアー(気管支拡張剤)の処方を開始し、以後計一八本(同年六月六日二本、八月五日二本、九月六日二本、一〇月九日二本、同月二九日二本、一二月二八日二本、同月三〇日二本、平成二年一月一九日二本、三月九日二本)処方した後使用を中止して、家庭では使わないよう指導していた。一郎は、平成二年四月、高校に入学し、そのころから発作の回数が徐々に少なくなり、通院回数や投薬回数も減少していた。原告花子は、吸入器を使用すると一郎の発作が治まることが多かったことから、一郎に発作が起こったとき、同原告が自ら被告病院以外の三宅医院や知人から入手していた吸入器を一郎に使用させて発作を治めていた。

一郎は、平成二年四月六日、被告病院小児科を受診し、インタール(点鼻用)二本器具付を処方された(その後同年一一月七日二本、平成三年六月二七日二本処方された。)。

一郎は、平成三年六月七日、被告病院小児科を受診し、小発作のみなので抗アレルギー剤の適応ではないとして、ベネトリン・ムコケイ(気管支拡張剤)、ネオフィリン、インタール(点鼻用)を処方されたのみで経過観察を受けることになった。

(四)  一郎は、平成三年八月初旬に、修学旅行に行き、また、同月一四日から、原告花子の知り合いのレストランで、午後五時から九時半ころまでのアルバイトを始め、同月一六日が三日目の勤務日であった。

2  本件医療事故の発生

(一)  一郎は、平成三年八月一六日午後一〇時ころ、アルバイトを終え、少し疲れたと言って帰宅したものの、いつもと同様に食事をとり、午後一二時過ぎころ就寝した。

(二)  一郎は、翌一七日午前七時半ころ、「喘息っぽい。」と言って、布団で寝ていたが、原告花子は、午前八時過ぎ、一郎に同原告が知人から入手していた気管支拡張作用のある吸入器を使用させ、同時に既に被告病院からもらっていた薬がなくなっていたことから、一郎を被告病院に連れていく準備をして、午前八時半ころ、自分の運転する車に一郎を乗せて被告病院に向かった。

(三)  原告花子らは、同日午前九時少し前被告病院に着き、一郎が歩行可能であったことから、一郎を被告病院二階の正面玄関で降ろし、一人で小児科外来へ向かわせた。

3  片岡医師の一郎に対する診察及び治療

(一)  一郎は、同日午前九時過ぎ、被告病院小児科外来受付に到着して第一診察室中待室に通され、体重測定をした。当日小児科外来第一診察室の担当であった片岡医師は、午前九時一〇分ころ、第一診察室へ入り、すぐに、一郎の顔色が悪く肩呼吸していることに気づいた江本看護婦から、まだカルテが出ていないが、喘息発作の患者を診てほしい旨依頼されて一郎を診察した。一郎は、片岡医師にとって初めての患者であった。診察時、一郎の意識はしっかりしており、喘息発作に喘ぎながらも片岡医師の質問に答え、自発呼吸も十分で、胸部聴診でもラ音は著明ながら呼吸音が聴取された。片岡医師は、一郎に軽度のチアノーゼが認められたので、江本看護婦に、酸素投与とベネトリン(気管支拡張剤)の吸入を指示した。江本看護婦は、第三診察室(第一診察室の隣の処置室の更に隣)で一郎に吸入療法を施し、そこへ、午前九時一二分過ぎ、原告花子が入室した。片岡医師は、原告花子に治療内容の説明をして、一郎の家庭での状況等を聴取した。その後、片岡医師は、カルテが用意されたため、第一診察室へ戻り、急いでカルテに目を通して、一郎に最近発作がほとんどないことを知り、それにもかかわらず今回の発作が重いため、吸入の効果がなければ緊急処置が必要になることも考えて、他の小児科の医師二、三人に応援を依頼した。まもなく、江本看護婦が、第一診察室へやってきて吸入療法の終了を告げ、効果がみられないと報告したため、片岡医師は、第三診察室へ行き、江本看護婦に酸素マスクによる酸素投与とソルコーテル(副腎皮質ホルモン)の静注を指示し、江本看護婦は、これに従って点滴静注の準備を開始し、原告花子に酸素マスクを一郎の顔に当てるよう指示して、一郎に対する酸素投与が開始された。

(二)  被告は、片岡医師が江本看護婦に酸素投与を指示したとき、同時に、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)の静注も指示し、江本看護婦は一郎の側にいてその準備をしており、翼状針(点滴針)を一郎の左手背静脈に入れたが、その最中、一郎が、突然、顔面の発汗が著明になり、呼吸停止と心停止を起こし、椅子からすべり落ちて針が自然抜去した旨主張し、これに対し、原告らは、原告花子が一郎の側におり、医師も看護婦も一郎の側にはついておらず、点滴静注の処置は一切していなかったし、しようともしていなかったと主張するので、この点について検討する。

まず、第三診察室内で一郎が座っていた位置についてみると、酸素投与に使用するチューブは第三診察室の壁に付着されており、一・五メートル弱で、ちょうど壁に付けて置いてある机の端あたりまでしか届かないから、一郎は、酸素投与を受けていた際、机の近くの椅子に座っていたものと推認される。そして、原告花子は、一郎に酸素マスクを当てていたとき、一郎の顔色を見ることに懸命で、江本看護婦の方を見る余裕はなかった、江本看護婦が壁に付着して置いてあった机の上で何かをしていたが、多分、点滴か何かの準備をしていたのではないかと供述していること、喘息の患者に対しては、発作が続くと脱水症状となるため通常吸入後点滴がなされることに照らすと、片岡医師からソラコーテフの静注指示が出され、江本看護婦はこれに従って、点滴静注の準備を開始していたものと認めるのが相当である。

また、原告らは、原告花子の指摘ではじめて酸素の開栓をしたかのように主張し、江本看護婦が、「そんなことはないと思いますけど。」と言って、元栓様のものにさわったところ、シューッという酸素の出る音がしたことは前記一のとおり当事者間に争いがないが、江本証言によれば、江本看護婦の右の処置は酸素が出ていることを確認するため、一時的に酸素噴出量を増量したにすぎないことが認められるから、原告らの主張は採用できない。

4  片岡医師らの事後措置等

(一)  一郎は、午前九時一五分ころ、突然、顔面蒼白、発汗著明になり、呼吸停止と心停止を起こしたため、片岡医師と江本看護婦は、直ちに一郎をベッドに運び、アンビューバック蘇生器によって酸素投与と換気を図りながら、心臓マッサージを施行し、同時に救急部へ医師の応援を依頼し、午前九時二〇分ころ、駆け付けた救急部の医師らによって気管内挿管が実施されたところ、心肺蘇生し、続いて、ボスミンを静注し、心肺蘇生法を続行したところ、午前九時三五分ころ、心拍動が再開した。

(なお、乙第一号証の1の27頁には心電図モニターの心拍開始時間として午前九時五〇分との記載があり、乙第一七号証の18頁には「午前九時五〇分モニタ上心拍再開あり」、同19頁には「心肺停止時間小児科外来三〇~三五分」との記載があるが、これは心電図モニター上のことであるから、右記載のみを根拠に実際に診療に当たった証人片岡、同山本、同岡部の各証言に疑いをいれるべきではない。)

(二)  医師らは、一郎が小児科外来で心肺蘇生した後、午前一〇時一五分ころ、ストレッチャーで人工呼吸をしながら一郎を救急部外来へ搬送し、麻酔器を装着して人工呼吸を行い、バイタルチェック及び胸部レントゲン検査を実施し、左肺に緊張性気胸が認められたため胸腔穿刺を実施したところ、午前一〇時三八分ころ、再度、呼吸停止と心停止が発生し、直ちにボスミン投与等で心肺蘇生を行い、午前一一時二〇分、ICUへ搬送したが、一郎は、意識が戻らないまま、平成三年八月二七日午後一時脳死と判定され、同年一〇月一〇日午前一一時一九分死亡した。

三  そこで、右認定の事実関係に基づき、被告の一郎に対する診療行為について原告ら主張の債務不履行ないし過失の有無について検討する。

1  気管支喘息の慢性期管理・療養指導の適否について

(一)  テオフィリンの徐放性製剤を使用しなかった点について

原告らは、テオフィリンの血中濃度を常に一定の治療域に維持するRTC(round-the-clock)療法を目指したのであれば、当然、テオフィリンの徐放性製剤(テオドール)の使用が有利で一般的であって、被告が早い時期からこれを使用しなかった点に債務不履行ないし過失がある旨主張する。

ところで、一般に、ある疾患の治療に際し、医師が考え得る複数の治療法の中から特定の治療法を選択した場合に、右選択に当たっての判断自体に医師ないし病院側の債務不履行又は不法行為上の故意過失の有無を検討するについては、当然判断が診療当時の学術上の見解や臨床上の知見に照らし一般に受容されていたところに従って行われたものであるか否かという観点から考察すべきであると解される。

そこで、かかる観点から原告らの主張する担当医の措置について検討することとする。

被告病院小児科における治療では、ネオフィリン散(後に錠剤)が一日四回分処方されており、テオフィリンの徐放性製剤(気管支拡張剤)は、昭和六三年一二月一四日から使用されていることは、前記一のとおり当事者間に争いがないところ、被告の担当医がこのような薬剤選択を行ったのは、一郎の病像に鑑み、臨床経過等を総合考慮したうえ判断したものと認められる。

そこで、被告の担当医の右判断の妥当性について検討する。

《証拠略》を総合すると、血中濃度の持続時間が長いテオドールは、一日二回ないし一回の内服でネオフィリン一日四回の投与と同等の効果があり、患者には便宜であるが、同時にテオフィリンの投与量と血中のテオフィリンの濃度との関係については個体差が大きいことが指摘されており、悪心、嘔吐、下痢、頻脈、不安感、けいれんなどの副作用もあり、テオフィリンの有効血中濃度は一〇μg/ml以下では効果が少なく、一〇ないし二〇μg/mlの範囲に保つことが望ましいとされていることが認められるから、テオフィリンを有効に使用するためには日常の診療でその血中濃度を定期的に測定することが重要であると思われるが、前記二1に認定の一郎の本件医療事故に至るまでの臨床経過に照らすと、そのような定期的な血中濃度管理は困難であったと考えられる。そして、前掲証拠によれば、臨床的には、ネオフィリンを一日に七〇〇から八〇〇ミリグラムを四回に分けて投与する方法により、あえて除放性気管支拡張剤(テオドール)を使用しなくとも、十分な治療効果を期待できることが認められる。

以上の事実を併せ検討すると、被告の担当医の薬剤選択の判断は、当時の一郎の病像に対する治療法として一般に受容されていたところに従って行われたものというべきである。したがって、被告に診療契約上の債務不履行又は不法行為上の過失があったと認めることはできない。

(二)  テオフィリンの血中濃度を測定していない点について

原告らは、テオフィリンの血中濃度を測定しないまま、右薬剤を使用した点に債務不履行ないし過失があると主張し、被告が右測定をしていないことは前記一のとおり当事者間に争いがなく、テオフィリンを使用する場合、その血中濃度を測定することが重要であることは前項で述べたとおりである。

しかし、本件の場合、一郎の診療経過中、一度も指摘されている副作用の発現は認められず、被告病院の担当医は、一郎の臨床経過に照らし、喘息発作は十分抑えられ、ネオフィリンを増量してテオフィリンの血中濃度を上げる必要はなく、少量の安全量で十分な効果が得られていると診断していたものと考えられ、被告病院の担当医が医師として通常の判断を欠いたとまで断ずることはできないというべきである。

(三)  平成元年二月以降インタールの投与を中止した点について

原告らは、被告が平成元年二月以降気道炎症抑制薬インタールの投与を中止して、気管支拡張剤の投与に比重を置いた治療を実施したことは、気道の慢性炎症を主病態とする喘息の病態理解には馴染まない治療法であると主張する。

確かに、乙第一号証の1のカルテを見ると、被告病院では、一郎は当初(昭和六三年八月から一一月まで)発作回数が多く(発作受診八月一回、九月四回、一〇月一回、一一月三回)、同年一一月から、抗炎症効果のあるインタール吸入一日三回(発作の対症療法ではない)の治療法が開始されているが、平成元年二月中旬以降処方されていない。

そして、豊島証言及び小倉証言によれば、喘息を慢性炎症性の疾患として理解すると、喘息の薬物療法だけに限定すれば、炎症抑制薬を使用し、それでコントロールできない部分について気管支拡張作用薬を使用し、インタールは、RTC療法や気管支拡張剤による治療法を止めた後、最後に残る治療法とするのが理想であるとされていることが認められる。

しかし、小倉証言によれば、インタールは、患者自身で吸入しなければならず、その方法も技術を要するもので、吸入直後に咳が出たり、臭いがある等の理由で、患者にとっては受け入れにくい面もある治療法であり、患者がどうしても受け入れないという場合もあることが認められ、カルテの平成元年二月一六日の欄を見ると、「くすりが1/2しかのめてない。今日からはしっかりのんでいる。」との記載があり、これらの事実を併せ考えると、一郎の場合、薬剤のコンプライアンス(薬剤をきちんと使用すること)が守られていたかについては多分に疑問があり、むしろ、インタール吸入療法は、抗アレルギー作用のみで気管支拡張作用はないため、発作時の治療方法ではないにもかかわらず、一郎は、この点の知識が十分ではなく、発作時のみ不定期に吸入していたものと推認される。

また、一般的に考えても、今日の青少年を取り巻く状況では、例えば、喘息の発作のために学校を休む、あるいは前夜に発作のために眠れなかったという状態での学校授業への参加は、けっして容易なものではないものと思われ、このように寛解の時期が思春期という、喘息がなくても困難な問題の多い時期と重なった場合、薬剤のコンプライアンスが守られにくいことが推察される。

のみならず、《証拠略》を総合すれば、インタールは、長時間持続使用しなければ効果が期待できず、また、高価なものであって右のような思春期喘息の一般的特長と一郎の現実の療養態度からすると、インタール吸入を続けることは実際上困難であって、被告が、インタール吸入を約二か月半で中止したこともやむを得なかったものと考えられる。

(四)  定量噴霧式吸入器(一定量の薬液を霧状にして噴霧するハンドネプライザーの一種。ステロイド薬や、刺激薬の吸入療法には欠かせない器具で、直接吸入する方法とスペーサーと呼ばれる袋にいったん噴霧してそこから吸入する方法がある。)の使用法の教育指導について

原告らは、一郎に定量噴霧式気管支拡張剤への過剰依存があったと推測され、メプチンキッドエアーの使用法について被告の教育指導が不十分であった旨主張するので、この点につき検討する。

確かに、《証拠略》を総合すれば、気管支拡張剤定量噴霧装置の過剰依存は死につながる可能性が高く、このことから、医師は、適切な薬剤管理について患者を徹底教育し、指示遵守が可能な症例を選択して処方することが必要であるとされていることが認められる。

しかし、本件の場合、《証拠略》を総合すれば、被告病院においては、平成元年六月六日、メプチンキッドエアー(気管支拡張剤の吸入薬)を処方しているが、その際、気管支拡張剤の吸入は心臓に負担がかかるので、保護者が厳重に管理し、安易に使用を続けることのないよう十分な説明や指導がなされており、原告花子もこのことを十分に理解していたこと、そして、メプチンキッドエアーを使用したところ、一郎の喘息発作回数は、平成元年八月〇回、九月一回、一〇月三回、一一月〇回、一二月〇回と次第に軽減したこと、一郎への外来でのメプチンキッドエアーの最終処方は平成二年三月九日であり、以後小児科外来あるいは救急部でメプチンキッドエアーは処方されていないのであって、平成三年八月一七日の本件医療事故まで一年五か月の間、被告病院においてメプチンキッドエアーは投与されていないこと、しかし、カルテの記載によれば、原告花子は、平成三年八月一七日、被告病院小児科外来受診時、「今朝八時過ぎ患児が吸入器を使用しているのに気づいた。顔色が悪いので八時半自家用車で急いで連れてきた。いつも自分で吸入器を使っていたので注意していた。」と発言しており、原告花子は、被告病院では使用してはならないと言われていたため、被告病院以外から吸入器を入手して一郎に使用させていたことが認められる。右事実からは、一郎は、平成三年に入っても小発作を時々起こしていたが、自分で勝手に対症療法としての吸入器を友人や他院で貰っては使用して喘息発作を抑えていたものと推測されるものの、このことのみから、一郎がメプチンキッドエアーの依存状態にあったか否かはいずれとも断ずることはできない。しかし、仮に一郎が依存状態にあったとしても、右認定の事実に照らせば、被告病院としては、メプチンキッドエアーの使用について十分指導教育をしており、また、喘息発作が起こったとき、自己の判断で吸入療法に頼りすぎないよう早めに来院することも指導しているのであって、被告病院に療養指導上の債務不履行ないし過失はないというべきである。

(五)  呼吸機能検査を実施しなかった点について

原告らは、被告が、一郎に対して、三年間の治療期間中一度も呼吸機能検査を実施しなかった点に債務不履行ないし過失があると主張するので、この点について検討する。

《証拠略》を総合すれば、呼吸機能検査は、患者の呼吸機能を精密に把握することができる有効な検査方法であり、大学病院等では一年に一回くらいは実施されるべき検査であるとされていることが認められ、被告病院が、一郎の三年間の治療期間中、一度も呼吸機能検査を実施していないことは前記一のとおり当事者間に争いがないところ、入院期間もあったことを考えると、その退院直前の時期にこれがなされればさらに万善であったとは考えられる。

しかし、小倉証言によれば、呼吸機能検査は、小児期の喘息では、発作のない時にはほぼ正常な結果が出る可能性があって、発作前後であると当然呼吸機能が低下しているため、発作のない良好な状態で調べなければ正確に判断できないので、患者が定期的に受診していない場合、実際には実施が困難であると認められるところ、一郎の受診状況についてみると、前記認定のとおり、外来受診中は、発作があるときにしか被告病院を受診せず、事故前一年半の間は喘息発作で被告病院を受診することはほとんどなくなっていた、すなわち、平成二年度中に喘息発作のため受診したのは、同年一〇月一三日の救急受診のみで、小児科外来では一度も発作の治療を受けておらず、他は感冒のため三回、請薬のみのため二回の計五回受診しただけであり、平成三年度は、小児科外来受診が一回のみ(六月二七日)で、軽い喘鳴で受診しているが、吸入療法は必要なく、ネオフィリン一日八〇〇ミリグラムの経口投与を処方されており、同年六月二七日のカルテにはほとんど発作はなくなったので抗アレルギー剤投与の必要性がなくなった、平成二年三月に一回発作があったのみと記載されており、これらの事実は一郎の喘息発作がほとんど軽快していたことを窺わせるものである。

以上の事実に鑑みると、一般に、医師に法的な意味での患者に対する説明義務や指導教育義務が具体的に発生するのは、医的侵襲の前提、診療後の療養への対処の場合であり、これを予定しない経過観察の段階では、右各義務が具体的に発生していたとは言えないと解すべきところ、慢性喘息には継続的なコントロールが必要であると思われ、被告病院が、もともと受診回数も少なく、このように喘息発作の軽快状態にあって、ほとんど来院しなくなっていた不定期受診患者である一郎に対し、呼吸機能検査の必要性を改めて説明した上で、発作のない良好な状態の時期に受診するよう指導し、呼吸機能検査を実施することまで要求することは実際上困難であり、また、その必要性も認められないと判断することもやむを得ないものといわざるを得ない。

したがって、被告が右のような判断に基づき、一郎に対し呼吸機能検査を実施しなかったことは一般の医療水準に照らして当然なすべき治療を怠ったものとは認められず、債務不履行ないし過失はなかったというべきである。

(六)  簡易ピークフロー(最大呼気位から最大努力呼気で息をはき出すときの最大呼気速度PEF〔peak expiratory flow〕をいう。気道の閉塞状況をみる良い指標であり、患者自身で測定できるので、喘息の管理にピークフロー測定が推奨されている。)メーターを使用しなかった点について

原告らは、被告が、一郎の慢性期管理において、簡易ピークフローメーターを使用しなかった点に債務不履行ないし過失がある旨主張するので、この点について検討する。

《証拠略》を総合すれば、喘息患者の気道の閉塞の程度を客観的に知るため、ピークフローメーターを使用することが有効であり、現在では日本アレルギー学会のアレルギー疾患治療ガイドライン(JGL)でもその採用が推奨されていることが認められる。

しかし、《証拠略》を総合すれば、国際的にみても米国立心肺・血液研究所と世界保健機関(WHO)が一七か国の専門家を集めて「喘息管理の指針」を作成し、そのなかで客観的な病状をピークフローメーターで知ることとしたのは一九九五年(平成七年)のことであり、日本では、前記ガイドラインがアレルギー学会で発表されたのは一九九〇年から一九九三年(平成二年から平成五年)にかけてのことで、このころから我が国でもピークフローメーターが普及を始めたのであり、一郎の治療期間である一九八八年から一九九一年(昭和六三年から平成三年)までの間の時期では未だ小児科医の間でも一般的には普及していなかったことが認められ、一般の小児科医にとって喘息の治療は専門外ともいえるから、右時期においては、ピークフローメーターの使用が臨床医学の一般水準的知識になるまで定着するには、なお時間を要したものと考えられる。

のみならず、ピークフローメーターを使用するとしても、患者は毎日ピークフロー値を測定し、常に最良値にあるように自己管理に努める必要があるが、前記認定の一郎の症状経過及び薬剤コンプライアンスに照らして考えると、一郎にそのような自己管理を期待し得たかはかなり疑問であるし、ピークフローメーターを使用しなかったことと一郎の死亡との間の因果関係を断ずるに足る証拠もない。

したがって、被告病院でピークフローメーターを使用しなかった点は特に過誤と目すべきものとまではいえない。

以上検討したところによれば、被告の一郎に対する慢性期治療・療養指導には債務不履行ないし過失を認めることはできない。

《証拠略》中には、環境調整、鍛練療法、心理療法、きめ細かい薬物療法等の日常の専門医師の喘息患者に対する生活指導を重視する立場から、被告病院のテオフィリンやインタール等薬物の使用方法、患者の呼吸機能等の把握及び指導の徹底方法等について指摘した上で、大学病院である被告病院の一郎に対する診療経過を見ると、喘息に関する専門的知識と治療経験を有する医師であれば当然なされるべき治療が十分になされていたかどうか疑わしく、問題があるとの趣旨を述べる部分があり、これは原告らの主張に沿うかのようである。

確かに、気管支喘息は慢性の疾患であり、長期間にわたる治療が必要となるため、さまざまな面において、医療スタッフと家族との協力や患者の自己管理が不可欠であり、豊島医師の指摘のなかには喘息の慢性期治療の理想的なあり方という観点からは傾聴すべきものを多分に含んでいることは間違いない。また、大学病院に勤務する医師は、日頃から専門医としての研究の機会に恵まれ、人的・物的な医療設備の充実した、また他の医師の協力が直ちに得られやすい環境のなかで診療に携わっているものということができ、かような病院内の豊富で良好な人的及び物的設備を利用することができ、利用すべきであり、高度な医療を期待して大学病院を訪れる患者や世間の期待も無視することができない。しかし、大学病院に勤務する医師といえども法制度上一般の医師を超える医師としての資格試験の合格や研修の修了を必須とされるものでない以上、一般の医療水準を超える特別に高度の注意義務を負うものと直ちにいうことはできない。

したがって、かような観点から考えると、アレルギー患者の治療についての専門的研究者と一般の小児科医とでは、おのずとそこに要求し得る医療水準は異ならざるを得ず、気管支喘息の病像、特にこれに伴う突然死の機序が完全に解明されているわけではないし、豊島医師の治療法の有効性がすべての患者について検証されているわけでもないから、甲第一九号証及び豊島証言をそのまま本件に当てはめて、被告病院の担当医の注意義務を云々することは相当とは思われない。

そうすると、《証拠略》は前記認定を妨げるとするに足りないというべきである。

2  平成三年八月一七日の被告病院小児科受診後の処置(救急救命処置も含め)の適否について

(一)  重症発作発症時の処置について

原告らは、一郎に対する救急救命処置の着手が遅れた旨主張するので、この点について検討する。

まず、一郎の受診当初の病状について検討するに、《証拠略》を総合すれば、喘息発作はその強度により、小発作(苦しいが横になれる状態で、日常の会話、動作も普通にできる状態)、中発作(会話がやや困難で、トイレ、洗面所に辛うじて行ける程度で、苦しくて横になれないくらいの呼吸困難をもつ状態であり、チアノーゼは存しない。)、大発作(チアノーゼが存在し、苦しくて動けず、会話も困難な状態)に分類されるが、前記二に認定のとおり当日午前九時一〇分の受診時一郎には顔色不良、喘息、呼吸困難、頻拍が見られ、これらの状況から考えると、かなり強い発作を起こしていたものと考えられるが、明らかなチアノーゼ症状は呈しておらず、顔色が悪いという程度の感じであったから、日本アレルギー学会重症度判定委員会基準の発作強度に当てはめると、片岡医師と小倉医師が一致して認めるように、中あるいは大発作ではあったが、重積発作状態(中発作以上の状態が一二時間から二四時間以上続いているもの。)ではなかったものと認められる。

前記二に認定のとおり、片岡医師は、当日午前九時一〇分に一郎が診察室へ入るとすぐに診察を開始し、右認定の諸症状とともに、一郎が自立歩行や会話も可能で、意識障害もなく、呼吸音が聴取できたこと、問診の結果、喘息発作が始まって約二時間経過していること等の問診、聴診、視診等の結果を総合して、発作の程度としては、中ないし大発作であり、緊急事態の処置(気管内挿管等)は当面必要ないものと判断し、直ちに、酸素投与を続けながら気管支拡張剤(ベネトリン)の吸入処置を開始するよう指示し、その間、点滴や輸液の準備がなされており、片岡医師は、気管支拡張剤の吸入効果が認められなかったとき、気管内挿管及び人工呼吸管理をする必要性は考えていたが、一郎は、O2マスクで酸素投与を受けながら、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)静注のため血管ルートの確保中、突然意識を消失し、心停止をきたしたのであって、来院後約五分間という短時間のうちに、急速な経過により発作症状が増悪している。

さらに、片岡医師は、心停止後、直ちに心臓マッサージと蘇生バックを用いて人工呼吸を施し、心臓マッサージ中、午前九時二〇分には、救急部の医師四名がその場に到着し、同医師らによって気管内挿管の上、心肺蘇生術が施行され、同時に左鎖骨下静脈へメディカットを挿入し、心蘇生剤(ボスミン)が投与されている。

右の事実によれば、豊島医師も指摘するように、一郎は吸入によっても改善できない強度発作を生じていたか、または吸入処置によってparadoxical bronchoconstriction(気管支拡張剤の吸入によって却って死亡または瀕死の状態が生じること)を生じたのかのいずれかであろうと認められるが、いかなる場合にもその効果の迅速性から吸入治療が優先されるのが現在の医学的常識であり、一郎が意識を消失し転倒した後直ちに血管ルートを確保して全身性に気管支拡張剤並びにステロイドを投与したのは適切な判断というべきである。

豊島医師(前同)は、強度発作の治療では、paradoxical bronchoconstrictionが死につながるものであることを常に予測し、その対応を準備して患者処置にあたらねばならないとし、本件では、この点の準備不足が、一郎の血管ルート確保や気道確保の処置の遅延を生み、有効性を発揮できずに不幸な転帰に至ったと考えられる旨指摘する。

豊島医師のこのような指摘は、被告病院小児科外来のカルテや看護記録の記載を根拠とするものと思われ、確かに、右記載には同医師の指摘するように各処置の順序、時刻なども不明かつ雑然とした点が多く、混乱がみられ、この点は適切とは言えない。

しかし、急性窒息や瞬間停止などによって脳血行が瞬時に停止して、その間何の措置もなされない状態であればともかく、たとえ不統一であっても関係者がそれぞれに何らかの処置をしたとすれば、それはそれなりの効用を発揮しているのであって、全く無為無能の茫然たる状態で空費されているとはいえないのが、救急の現場であると考えられ、したがって、このような救急処置のいわゆる混乱状態に起因して患者に対する治療が優先された結果としてカルテや看護記録の記載に混乱を生じることも全く首肯し得ない訳ではない。

そうすると、右記載のみから直ちに豊島医師指摘のように断ずるのは早計というべきである。

原告らは、一郎は決して手後れの状態で受診したものではなく、呼吸停止や心停止を起こしても、適切な救急処置が迅速に実施されれば当然救命できるはずであると主張する。

しかし、日本小児アレルギー学会が一九九〇年から一九九五年一〇月までに登録された喘息死症例八九例について解析した「喘息死委員会レポート’95」によれば、小児と成人とを問わず、死亡例は重症例とは限らず、むしろ、軽、中等症として経過していた症例に突然発生した大発作を契機として死亡したものが多く、死亡場所についても、救急外来を含む病院における死亡例は五六例(六二・九パーセント)に達しており、さらに、厚生省人口動態統計から年齢階層別に喘息による死亡率をまとめた報告によれば、一五歳から一九歳男子の死亡率は、最近では各種治療法を開発されているにもかかわらず一九九一年には一九八〇年の三・三倍となって増加傾向を示しており、一般的に考えても、喘息発作による突然死の場合に限らず、救急蘇生法は実施すれば必ず救命しうるものではなく、不幸の転帰を取る症例が多いのが現実であろうし、一郎の死亡についても前示の症状経過からすると、それは患者本人の一郎はもとより、周囲の者にも予測困難であったと認められるから、原告らのこの点に関する主張はたやすく採用することができない。

(二)  救急カート(アンビューバッグのほかにヘッドバンド、エアウェイ、開口器、舌鉗子、気管穿刺用針、ディスポーザブルの注射器と針、気管内挿管器具一式、救急薬品などを入れておく、常備救急蘇生器具セットであり、容器はプラスチックの透明製がよいとされる)を小児科外来に準備しておかなかった点について

原告らは、被告が救急カートを小児科外来に準備しておかなかった点について主張するので、この点について検討する。

一般に、病院の外来でも患者の容態が急変することも全く予想できないわけではないから、患者の身体状況の変化に即応できる臨床体制を準備しておくべきものであり、江本証言によれば、江本看護婦が一四階の小児科病棟まで救急カートを取りに行っていることが認められ、そのこと自体はやや迂遠で穏当を欠くかのような印象を与える。しかし、同時に、《証拠略》によれば、実際にはアンビューバッグは小児科外来第三診察室に備えられていて、一郎の心停止後、直ちにこれを使用して蘇生術が実施されたこと、江本看護婦が小児科病棟から救急カートを持って小児科外来へ戻ってきたときには、一郎は既に蘇生術を施行されて、モニターが装着されている状態であったもので、江本看護婦が救急カートを持って、小児科外来に戻った後、右救急カートから何種類かの薬剤が使用されているが、それまでの一郎に対する救急治療は、小児科外来に備えてあったか、あるいは、救急部の医師らが持参した器具や薬剤等によって迅速かつ適切に実施されていることが認められ、被告病院の臨床体制に問題があり、それが原因で一郎の死亡の結果が招来されたとまで断ずることはできないから、原告らの主張は理由がない。

(三)  薬剤使用上の問題点について

原告らは、急激な呼吸停止や心停止に対する救急処置に用いる薬剤としてはボスミンが第一次選択薬であり、プロタノールは不適切とされているから、被告がプロタノールを使用した点が不適切であった旨主張するので、まず、一郎に対し、プロタノールが実際に使用されたかどうかについて検討する。

カルテ及び看護記録上、一郎が倒れた後真っ先にプロタノール7A入りの酸素を六リットル吸入させたかのように記載されている。しかし、気管内挿管状態ではかような吸入療法は不可能と考えられるから、この時点でプロタノールが使用されたと考えるのは不自然である。

この点につき、被告は、かかるカルテ及び看護記録の記載のなされた理由について、心肺蘇生が成功したときに、酸素テントの中へ噴霧して自発呼吸下で吸入させるため用意していたもので、結局蘇生できなかったため実際には使用せず、ただ、アンプルカットしていたため使用済みということで前記のように記載したものであると説明するのであるところ、前示の救急処置のいわゆる混乱状態を考慮すると、患者の救命が最優先であり、医師や看護婦がこれに全力を注ぎ、カルテや看護記録を救急処置後にまとめて記入することは極めて自然なことと考えられるとともに、カルテへの記載にあたっても、心肺蘇生術のように処置の順序が決まっている場合には、その詳細の記載を省くことがなされることも考えられるから、薬剤の使用順序が異なって記載されたり、結果的に使用しなかった薬剤が記入されるというような事態が生じることも必ずしも理解できないわけではない。

したがって、プロタノールは実際には使用されていないものと認めるのが相当であって、この点に関する原告らの主張は前提を欠き理由がない。

(四)  アミノフィリンを使用しなかった点について

原告らは、もっとも早期にアミノフィリンの点滴を実施すべきであった旨主張するので、その点について検討する。

《証拠略》を総合すれば、気管支喘息の発作とともに心停止が起こって救急処置を講じる場合、心臓マッサージ等の蘇生術を施行することが優先され、その上で、余裕があれば、喘息治療も併用していくべきものであること、さらに、気管支喘息の治療については、アミノフィリンを使用する方法以外にも、当該患者の発作の程度、持続期間、全身状態やそれまでの治療状況等に鑑み、他の有効かつ適切な方法を適宜に選択することも考えなければならないことが認められる。

本件の場合、一郎がICUへ到着し、午後二時ころから午後五時一五分ころまでの間にアミノフィリンの使用が開始されているが、この点について、被告は、被告病院においては、ボスミンを使用しており、右薬剤には心臓に対する効果と同時に気管支拡張効果もあり、喘息の治療にも有効と考えられ、一郎がICUに到着してから二回目の心停止を起こした後に、気管支拡張効果のあるイソフルレンを使用しており、イソフルレンは、アミノフィリンよりも気管支を拡張させ気道内圧を正常化させる極めて有効な薬剤であって、これにより気道内圧を二〇前後の正常域に保っているから、被告がアミノフィリンを使用した時期としては決して遅すぎるということはないし、また、本件では、心肺蘇生中、蘇生バックを使用しており、気管支拡張剤イソプロテレノールの持続吸入もアミノフィリン静注も必要なかった旨主張する。

ボスミンもイソフルレンもともに気管支拡張作用を有する薬剤であり、これらの治療薬のうちいずれを選択するかは、担当医が、発作の程度や患者の状態を十分把握し、それに応じて的確に判断すべき医師の裁量に属するものといわねばならない。

本件の場合、被告は、当時、一郎に生じていた気胸や心停止等の症状に対処するため強心作用のあるボスミンを使用したり、カウンターショック(電気ショック)を行っていたものであって、その上さらに心臓に負荷を与えるアミノフィリンを使用することには問題もあることが指摘されており、結局、これらの事情を考慮に入れると、ICUへ到着し午後二時ころから午後五時一五分ころまでの間にアミノフィリンの使用を開始したのは医師の裁量の範囲内に属する診療行為であり、個々の事案における当該薬物の必要性は事後又は併行して施した救急態勢の万全さとの相関関係において判断されるべきものであって、受診当初から事後の救急措置までの一連の過程を個々の場面に分断し、そのそれぞれについて関係者の個々の注意義務への違背を問うのは必ずしも適切でないというべきであるから、この点について被告に債務不履行や過失はない。

(五)  ICUで再度心停止が生じた点について

《証拠略》を総合すれば、一郎は、被告病院救急部外来において、気胸の治療中、再度心停止を起こしているが、担当医は、一郎の心拍動が再開し、心拍、心電計モニターで心拍数、血圧が安定していることをそれぞれ確認した上で、救急部へ搬送したものであって、これは、緊急検査(胸部レントゲン検査等)のため、できるだけ早急に救急部で治療する必要があったからであり、胸部レントゲン所見で左気胸(その原因としては挿管後の気道内圧が高かったことから左外傷が最も考えられる。)が認められたため、脱気トロッカー挿入による治療が行われていたものであり、心肺蘇生後の措置における手順として何を最も重視すべきかは治療を委ねられた医師がその裁量により患者の病状に即して臨機に判断すべき事柄であって、被告病院の担当医師が気胸の治療に重点を置いたことはなお右裁量の範囲に属するものと認められ、右気胸治療の結果再度の心停止が生じたと認めるに足る証拠もないから、この点につき被告病院の治療行為に不適切な点があったとは到底認めることができない。

3  以上によれば、被告の債務不履行及び不法行為責任を主張する原告らの請求原因5の主張は、いずれも理由がない。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小沢一郎 裁判官 吉波佳希 裁判官 山田真由美)

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